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【経験と自由】

【経験と自由】
自由ってなんでしょう?
意味や概念を理解するため、
説明を受けると自由なのでしょうか?

誰かが与えてくれるものでしょうか?
「おまえに自由を与えてやる」
そう言われても困りますね。

自由意志があるという前提で、
国は法律を造ります。
これがはたして自由だろうか?
矛盾しませんか?

何かに所属していますね。
私たちは人類に所属します。

では、なぜ他に所属するのでしょう。
学校に所属します。
「なぜ?」
教育を受けるために。
「何の為に受けるの?」

会社組織に所属します。
「なぜ?」
飯を食うために。
「誰が食うためなの?」

宗教団体や宗派に所属します。
「なぜ?」
救われるために。
「誰が救われるの?」

どれも答えは「私」ですね。
人類のために教育されるのでなく、
人類が食うためでなく、
人類が救われるためでなく、

まるで、
人類と別に「私」があるみたいですね。

今、いっしょに二重基準を見ています。
何かに所属したとたん二重性です。
扉の仕組みです。
出ることができずにいる扉です。

自由の扉は今、開きたいですね。
今です。
今出なければ、
一生涯出られないかもしれません。

自由を恐れているなら、
開きたくないですよね。

自由を経験できなくしているのが、
実は経験です。
「私」は自由が怖いのです。
そらそうですね、
「何がおきるかわからないもの」
-ですよね。

ですから、
この扉は恐怖です。
恐怖は扉そのものです。

「どうすればいいですか?」
この「どうすれば」自体が私です。

「どうすれば」が、
私の学校であり、
私の会社であり、
私の宗教であり、
私の国です。
「これ、全部、閉じてますよね」

どこの国、どこの学校で学んでも、
異なった形での「どうすれば」です。

「私」があるかぎり、
どこで、何を、どのようにしていても、
閉じてますし、まるで監獄のようです。

そのとおりです。
監獄です。
自由ではありませんね。

では、このブログをとおして、
いっしょに出てみますか?
恐ろしいですか?

監獄の囚人として、
脱走する計画を立ててみますかすか?

おろかですね?
またしても「どうすれば」ですね。

見えてきましたね。
今、私たちは、このブログをとおして、
分かち合い始めています。
言動を、行動を、動きを、
止めることの必要を。

止めなければ「どうすれば」の正体が、
見えないという事実を、
分かち合っていますね。

外面的・物理的な動きだけでなく、
内面的・心理的な動きにおいても。
止めなければなりませんね。

止めて、共に見てみましょう。
「自由を経験するものの正体です。」
「私は自由を経験できるかを。」

監獄は物理的にだけできていません。
物理構造だけでなく、
心理構造も知らねばなりません。

自由を見失わせる、物理構造と心理構造との両方を見出します。

監獄は私自身ですから、
私の身体と心を私自身に学べばよいわけです。

このとき、
このブログをとおして、
自由が開かれるかどうかを、
共に、実験しましょう。

そのために、
経験の本性を開けてみましょう。
「自由を経験できますか?」
「経験を知識として蓄えた心は、そもそも経験できますか?」
「次回のブログは、誤作動している経験のありのままを開きます。」
人類の経験を開くのです。

4月4日