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認知障害について。

認知障害について。

今年最後の認知症の方とその家族の方とのサポートに行ってきました。
一人一人、認知障害の現れとしては、違いがあります。
そして、一人一人その苦しみの表れとしても、違いはあります。

ですが、認知に障害を起こすという事実に、違いはあるのでしょうか?
頭脳は、いったいなぜ認知に障害を起こすのでしょう?
人間の頭脳だけでなく、生きとし生きるものの頭脳は、
どのようにして障害を起こすのでしょうか?

そもそも、認知するとは、どのようなことなのでしょう?
カラスや猫の認知と人間の認知とは、どう違うのでしょう?
まったくの生命にとって、共通する頭脳の認知構造を解明できるでしょうか?

カラスの経験知、猫の経験知があり、人間の経験知があります。
その生き物の遺伝子に組み込まれた遺伝情報は、その生物の経験知です。
何万年以上もの間に蓄積されてきた、経験知です。
生命は、この過去の経験知に照らし合わせて、現在の経験とを照合し判断します。
比較です。
これは、現在を知らないことを意味します。
現在を経験できていないことを意味します。

現在は、この今というものは、無量のもの、計りきれないもの、
生きているものであり、その全体の一部が現前しているのです。
それを、膨大な量の蓄積された経験知では有りますが、
死んでしまった過去の経験知です。
その経験知で比較し計ります。
計りきれないものを計っているのです。
比較できないものを比較しているのです。

これが命の悲しみです。

目の前に、ネズミの死骸があります。
人間にとっては不衛生です。
カラスや猫にとってはごちそうです。
カラスと猫は争うかも知れませんが、これらの比較計量はあります。

人間は命を計ります。
そして殺します。
それも大量に殺します。
大量の命を殺し、人間をも大量に殺してきました。

計りきれない命を計ることで、大量に殺し合う世界を、
私たち人間は、開いてしまったのです。

頭脳は、なぜ認知に障害を引き起こすのか?
この問いは、認知症と呼ばれる病そのものが開いてくれます。

今、認知症と呼ばれている病そのものが、
私たち人間に危険を知らせ、警告を発しているのです。