楽しみの真実(人生を楽しむ)

今日の瞑想。

みなみ子どもの家づくりより。

 

楽しみの真実(人生を楽しむ)

偉大な聖人が述べたことを日常生活のかで自己をとおして学ぶなら。

 

クリシュナムルティの読者と彼を知らない人も、

今から話すことを、どうか、自己の記憶反応なしに、聞いてくれるでしょうか?

 

そして、記憶反応が生じるときは、その反応自体をも、聞いてあげてください。

その場合は、聞けていないという現状の事実を感じ取れるでしょうか?

 

この話をとおして、いつのときも自分自身の記憶反応、すなわちそれは雑音ですが、いつも雑音のためにすべての音(カラスや猫の鳴き声、自転車やバスや車の騒音、周りのあらゆる音)を聞かないでいて、自己の判断と解釈を聞いていることを、共に見いだせたらいいかと思うのです。

これは事実であるので、事実を、共有することができ、そこから、コミにケーションが開くかも知れません。

 

さて、今日は、楽しみの本性を共に見いだせないだろうか、ということです。

 

人はだれも、楽しみなしに、生きられるでしょうか?

だれもが、「そんなつまらない人生はイヤだ」

と、返答されるでしょう。

この記憶からの反応を聞いてあげてください。

 

この記憶反応は、自分の反応でしょうか。

人間の反応でしょうか?

 

それは、この問い自体が答え始めるでしょう。

人はだれもが、それはあなたと私ですが、

特定の何かを楽しみにします。

アルコール・賭博・セックス・膨大にふくれあがった娯楽産業の内の何か・スポーツとスポーツ観戦・たばこ・ドラッグ・政治と政治談話・宗教活動・慈善活動・社会活動そしてこの内にある合法と違法のすべての刺激作用、等々です。

 

多くの楽しみと刺激を求め、依存の苦しみからは逃れている多くの方、たった一つの楽しみに捕らわれて病状として現れている依存症と呼ばれる方まで、様々ですが、根本的なもの、依存の本性は何かと問うならば、その問い自体が答えてくれるでしょう。

 

その問は私たち人間に、こう答えています。

すなわち、そのことだけしか考えられなくなるのです、と。思考の結晶化作用です、と。

硬直した凝り固まった考えで行為する破壊です。

強化される自己中心です。

自己中心はとの自己中心とぶつかり、対立し、破壊され、悲嘆へ行き着きます、と。

 

たった一つの楽しみから始まり、苦しんでいる依存患者は幸いです。

様々な楽しみ、政治の宗教の社会活動の楽しみを持つ方は、うまく病気と付き合っておられます。その病名は、自己中心です、と。

たった一つの楽しみを苦しむ依存患者は幸いです。

彼は、自己中心と向き合えるのです。

彼こそは、それが人間の苦しみであることを、

自ら、見出されるでしょう、と。

 

この発見こそは、あなた自身によるものです。

ですから、人間の唯一の楽しみは、このようにして、真実を開き、真理を発見することです、と。

 

この真理が自己中心の鍵を開きます。

 

この真理があなたを自由にし、

この真理があなたの人生すべてを楽しませてくれることでしょう。

 

2018/11/07