地球を救う忍法 第2幕 生きている書を読むことの法と術 日曜学校

昨日の日曜学校、議題は、生きている書を読むことの法と術です。
生きている書、それは人類の物語が記されています。
その第一ページはあなたです。
ページを開ける術があります。
そして、そこにかかれている生きたありのままを読む術があります。
この術により生きている書を読み進めることで法に出会います。
この法は生きています。
生の全体性であり、あなたはその一部です。
このとき、葛藤は解かれ、あなたの重荷はおろされるでしょう。
この法と術は、すべての方法と技術を生み出します。

あなたは、一歩踏み出すだけでよいのです。
あなたの生き方は、新しい花を開くでしょう。

 

昨日の参加者は2名でした。

今後は、英知をもたらす事業と子供食堂とを出張していきたいと考えます。

ご参加、お待ちします。

みなみ子どもの家づくり

内藤

 

 

第2幕・1~3ステージ 
生きている書を読むことの法と術

妖精
(幼くして滅したすべての魂。分別することを知らないし自己を知らない無垢性を持っている。物語の登場人物として分別を語りはするが、なぜ人間が分別で苦しむのかを知らない)

精霊
(ありのままを現し、ときにはありのままを隠す精霊。生きとし生きるものの魂として物語の本筋を語る)

第1ステージ
精霊
「生きとし生きるものの繋がりを遮断するもの、
裁ち切り、裁断するものはなんでしょうか。
これが、いのちに何をもたらすでしょう。
花に止まった、チョウチョを見ます」
妖精
「花だ。チョウチョだ」
精霊
「妖精たちは今、人類の記憶を使って、日本に生まれ育ち日本語を話すという条件をとおして、
あなたにありのままを映し出そうとしています
花とチョウチョを言葉で示しました
分別です」
妖精
「分別なの」
精霊
「花とチョウチョは海や川や大地、この地球が引き寄せているものすべての一部ですね。

花だ、チョウチョだと言うとき、
花ではないすべてのもの、チョウチョではないすべてのものを消してしまって、
花だ、と言っています。
チョウチョだと言っています。
分別ですね」
妖精
「分別です」
精霊
「どんな思いがする」
妖精
「きれいな花、かわいいチョウチョ」
精霊
「分別して、そしてまた分別していることに、
気づける?」
妖精
「分別して、うん、また分別した」
精霊
「妖精たちよ、あなたたちは分別がわかりません。人間たちがこのことでどんなに苦しんできたのかを知りません。
だから、妖精たちよ、分別のありのままを人間たちに映し出せるのです」
妖精
「映し出します」
精霊
「人間たちよ、今から話すことを、どうか、
分別なしに聞いてください。
今から、人間の苦しみの中心を、妖精たちを鏡にして映し出します」
(人間たちは、固唾をのんで見まもっている)
精霊
「あなたは、考える中心です。
そのあなたは、言葉を手に入れました。
あなたが、花だと言うとき、
その言葉は花ではありません。
花は言葉ではありません。
あなたは、言葉で、花以外のすべての繋がりを消してしまいます。
花以外のすべてを消し去り、
生きている花と断絶した造花をつくります。
同時にその花に対するあなたの心をつくります。
生きているものと断絶した造花、
死んだ花。
生きているものと断絶した心、
死んだ心。
この悲しみがわかりますか?
こうしていのちの空間は断絶するのです。
あなたは、開けてはいけない宝の箱を開けます。
私の宝だ。
私の妻だ、私の夫だ、私の子供だ、私の花だ。

人間たちよ、あなた方に何が起きましたか?
私の家だ。
さわるな・ふれるな・出て行け。
あなた方に何が起きていますか?
排他的になり、バラバラになり、孤立します。
人間たちの家がバラバラになります。
分別の苦しみ、悲しみが見えていません。
70億もの人間たちと、別だ、と言う私です。
自己と非自己の関係におかれる私です。
私の誕生です。
そこで、今から、妖精たちと共に、みんなで、
私の物語、人類の物語を読みます。

第2ステージ
この物語は分別により生まれます。
すなわち、分別の物語です。
分別しないときにページが開きます。
すなわち、あなた自身が開きます。
それが人類の物語です。
あなたが、その本です。
人類の物語はあなたです。
この第一ページを開くためには、
いくつかの注意事項があります。
始めに、人類の思考が言うように、
言葉はそのもの自体ではありません。
山、という言葉は、山ではありません。
そして、叙述は叙述されるものではないです。
「私たちが住む無量の空間、宇宙」と言うとき、
宇宙という言葉は宇宙ではなく、
宇宙の叙述、「私たちが住む無量の空間」と言われた叙述は、叙述されたそのもの自体をさせません。
これが、言葉に関する注意事項です。
言葉は分別です。
生きた本のページを閉ざします。
ページは開きません。
私は言葉です。
言葉の世界を私は生きています。
だから、私がいるとき、ページは開きません。
私が閉ざされていること、
私がページを閉ざすことを見ることが、
ページを開きます。
これは見るという忍術です。
宇宙と私の関係を、
すなわち、宇宙を鏡にして、
私以外を鏡にして、私を映し出すことの術です。
これは見るという術です。
法を映し出します。
法と術が出会い、自己を見て理解します。
自己理解です。
観察の術です。
観察者は観察されるものであると言われます。
観察者は観察されます。
それは、人類の思考が融合されているときに、
言われます。
観察者は観察されます。
このときページは開きます。
これが術であり法を開きます。
ページを開くのです。
これは注意事項である見る法と術です。
法と術は、
すべての方法と技術をもたらします。
そして、聞くという術があります。
苦しみの響きを聞きます。
苦しみの音色を聞くのです。
私たちは聞きません。
私たちは、意味と概念を聞くのです。
イメージを通して聞きます。
苦しみという言葉は苦しみ自体ではありません。
イメージはそのもの自体ではありません。
ですから、意味と概念に基づいて、
イメージを重要視するかぎり、
ページは開きません。
私たちの本は閉じています。
ですから、無量の本を作り出すのです。
あなたと分離した本を作り出すのです。
苦しみのイメージを重要視するとき、
生きとし生きるものの苦しみ全体、
すなわち生きている苦しみと分離します。
全体と断絶した部分です。
私の苦しみです。
聞くことは奇跡だと言われます。
それは苦しみの中心を解き放つ奇跡です。
この奇跡はあなたにしか訪れません。
なぜだかわかりますね。
あなたの苦しみを完全に聞くことができるのは、
あなた以外に存在しないからです。
あなたの中心が解き放たれるとページが開き、
あなたは人類の苦しみを自分の苦しみとして、
読み始めるのです。
こうして、自己を読むことで、
苦しみは終わります。
ですが、あなたは読み進めるでしょうか。
新しいいのちが、生が始まるかも知れません。
見て、聞くことで、五感が解放されるでしょう。
これがページを開く重要事項です。
そして、ページを開いて、
その生を読むための重要事項があります。
五感が解放されれば、
学ぶことに革新が引き起こされます
人間たちの学びは、
経験と知識を蓄積していきます。
これを学びと呼んできました。
何が起きていますか?
学ぶ私の誕生、同時に、私の確立・強化です。
学ぶ対象が生まれ、本が生まれます。
本と分離した私の確立・強化です。
死んだ学び、蓄積される学びです。
生きている本は閉ざされます。
自己理解が閉ざされ、精神が破壊されます。
この破壊は、外部の影響を受けていつ起きるかは、人により様々です。
こうして、精神疾患認知障害認知症です。
あなたは、精神疾患
認知症ではないと考えます。
いつ起きるかは、人により様々です。
これが私たちのありのままです。
私たちが読む本は、分離した本です。
生きている本は、あなたです。
生きている本を読む重要事項、
その第一ページは、あなたです。
生きている空っぽの性質、
経験と知識から自由な心で、
蓄積された経験と知識を読破するのです。
これは、空っぽの学びです。
空っぽの学びは、生きた本を読みます。
これは読むための重要事項です。
それでは、ページを開くための重要事項、
見る術と聞く術、
そして読むための重要事項である学ぶ術を使って、いっしょに、生きている本を開きましょう。


 第3ステージ
人間
「私は、人間たちすべてに物質的に必要なもの・衣食住を分かち与え、生きていく上で必要な知識と経験とをもたらしたいのです。
地球に生きる人間すべてに、です。
どうか、力を、その力を、私にお与えください」
(30年8月27日)