【人生ゲーム】

【人生ゲーム】
ゲーム中は勝敗を巡って戦っています。
ゲームが終わり勝敗が決し、
一喜一憂です。
次のゲームに備え始めます。
この意識です。
意識は自己中心の駒です。
社会はゲーム版です。
意識する私は、社会でいかに方法と技術を上手く用いて、又は下手くそでも、金、地位、名声、社会評価を得ることができるかにかかっています。
上手くいくと非常におもしろいゲームですが、下手をすると大変苦しめられるゲームです。
社会はゲーム版であり、私はただの駒にすぎません。
私は死ぬまでこのゲームを続けるつもりです。
ところで、あなたにお尋ねしたいのですが、このゲームの主催者は誰なのですか?
あなたはこのゲームには参加しておられないのでしょうか?
私にわかっていることの一つは、
私の意識がこのゲームの駒であること。
私の意識は社会の駒としての条件です。
この条件は、結果を得るようにと条件付けられています。
そうですね。
結果が得られない、又は悪い結果であるなら、条件を変えねばなりませんね。
よりよい技術、よりよい方法、よりよい手段はないかと模索して、見つけ出すならそれを学びます。練習します。認可を受けて免許や資格をもらいます。
これらが私の新しい条件となり、ゲーム上は有利になりますよね?
人生って、ゲームでいいのでしょうか?
人生はゲームですか?
これ、どうやったら終われるのでしょう?
社会を終わらすわけにはいきませんよね。
まさか、そんなことはできませんね。
でも、しようとしている人がいますね。
戦争やテロを行うことで終わりにすると。
戦争を行わせる人は、社会を終わりにしようとしています。
彼らは、このゲームはいけない、やり方やルールが悪いし、結果が悪いといっています。
この社会の評価でなく、神の評価がいると又は、神の評価でなく、先祖の評価だと又は、経済的評価だといっているようです。
国と国とに、民族と民族に別れていますがそれぞれに自分の言い分があり、自分にとっての新しいゲームを始めようとしますが、終わりにしません。
ゲームオーバーだと言えないのでしょうか?
なぜ言えないのでしょうか?
どこから終わればよいか、わからなくなっています。
単純ですね。
自分からです。
自己意識は駒です。
自由ではありません。
条件付けられています。
条件を終わりましょう。
条件は誤差です。
計量誤差です。
計ることを止めます。
分割が見え始めます。
分割はイメージ自体です。
イメージは人類の癖であり、生命の癖です。
イメージはそのもの自体ではありません。
分割します。
分けます。
私を造り、自己と非自己に分けます。
ここに計量が始まり言葉でできた偽りの無量性が始まります。
生きている無量性ではありません。
あくまでもゲームです。
これがゲームの構造です。
イメージです。
イメージなしに生きられますか?
無理だと即答しないでください。
問うのです。
自分自身に問うのです。
この問が開かないかぎりゲームは続きます。
ゲーム中は思考の中です。
問が開くとゲームオーバーです。
この問が答えです。
4月20日