【計量世界での孤立無縁】

【計量世界での孤立無縁】

私たちが生きる世界は計量世界です。
カラスはカラスの、
猫は猫の、
魚は魚の、
計量世界を生きています。

命に根付いている恐怖は分割します。
生命を分割する恐怖の空間が、
見えません。
言葉は計量です。
計ることです。

計量世界は言葉で計られできています。
計量世界の中心は記憶です。
経験を言葉で計り知識として納めます。
これは二重の基準です。

生きる命の恐怖と計られた恐怖です。

経験と知識と記憶は命の道具です。

誰が使うのですか?
「私」ですか?
あなたですか?
今を生きる70億もの人たちですか?
未来の人類ですか?
生きとし生きるもののすべてですか?

この問が開くとき瞑想の扉は開きます。

この鍵は道具が終われるとき開きます。
二重基準の解消が開きです。

道具箱は道具です。
言葉は道具です。
経験は道具です。
知識は道具です。
記憶は道具です。

これらの道具で「私」は維持されます。
「私」は道具です。

道具が終われなければ、
分割の闇と、計量の迷いの中で、
人類である私は、
生きとし生きるものを巻き込みながら、
大量に殺し合う準備中です。
核攻撃の準備中です。

核装備は経験と知識と記憶からの動きである思考の産物です。

私たちは思考の取り扱いを知りません。
思考の危険を知りません。
思考を終わることに無自覚です。

「私」は思考であり、
恐怖があるかぎりは終われません。
「私」が終わらないかぎり、
恐怖が終わらないかぎりです、
思考である道具は終わりません。

完全に恐怖と向き合うには、
ただ一人、孤独を生きねばなりません。

孤独を感受し、
孤独を深く胸に感じ、
生きている孤独に触れてみるのです。
言葉なしに、です。

不思議なことが起き始めます。

孤独は消えていきます。
消えゆくときに孤独は教えます。
「孤立して生きているものはない」と。

恐怖にあってどうしようもないときが、
生きている恐怖の学びです。
生きてる恐怖は脳をデフォルトします。
脳細胞が生と融合する可能性です。

現在、脳細胞は、
思考の分割・計量作用によって、
条件付けられています。

これは事実です。
脳細胞における孤立化のプロセスです。

脳細胞の孤立化、断片化によって、頭脳は機械化し専門分野化しているので、限定された機能、2パーセント以下の機能です。

頭脳を預かる生命全体が孤立化のプロセスを生きているという真実が今、
あなたと私に、
このブログをとおして、
開かれているでしょうか?

脳細胞孤立化の変容が革命の可能性です。

生きているものに学ばなければ、
人は孤立のプロセスにいます。

3月31日