3,恐怖の闇=空間

3,恐怖の闇=空間
〔間違われた空間=計られた空間と空〕
空間なしに私は存在できません。
何ものも空間なしに存在しません。
物質は空間なしには存在しませんし、
精神は空間なしには
考えることができません。
思考は空間なしには機能できません。
空間を失った思考は破壊されます。
空間を失うことは恐怖です。
自己存在が消えてしまう恐怖です。
自己は空間なしに存在しません。
空間は恐怖です。

例えば恐怖の因、「所有・取得」です。
私のものだという思いは恐怖です。
失う恐怖です。
何を失うのか?
空間です。
「これは私のだ。私の領域だ。触れるな。入るな。」
空間を奪っているのです。
空間を失うのです。
家族を失う。仕事を失う。友人を失う。支援を失う。
命を失う。
私のものだという思い・考えを失う。
空間を失う恐怖です。

この恐怖が見えるでしょうか?
空間と私とを、分割できるでしょうか?

思考が空間を失う根本因は、
思考自身の分割・計量です。

分割あるところ誤差が生じ誤作動する、
これは法と術です。

生命は計量空間を生かされています。
分割・計量を条件として
条件付けられる命です。
生命の苦しみの根本です。

命が、自分自身のものだと思っている、
この肉体、この頭脳、
はたして本当に、私のものでしょうか?
肉体と頭脳とを占有している空間、
私自身が存在するための空間、
空間は私のものだと主張するとき、
世界はどうなっているでしょう?

分割できない空間が分割され、
自己と非自己が生まれます。

人間社会が他の生命と分割され、
人間自身が分割されています。

二重に絡み合った無間地獄です。
人間空間は計量空間です。
生きている無量の空間と断絶します。

苦しみ、戦い、競争、戦争原理です。

私が空間であること、
分けることのできない空間を知るには、
完全な計量が必要です。
この完全計量が自由・解放です。

完全計量の法と術
それは世界の音を自己中心に聞くことの
法と術です。

このとき生命全体の思考、
慈悲に基ずく思考、
誤作動を思考自らが気づき、
自覚し、理解し、
誤作動の音が聞こえる中で、
静けさが生じるかも知れません。

世界の音を中心から聞くなら、
静けさを聞きませんし、
聞くことの法と術ではありません。

空間を占有している主体の中心
行為者、思考者、私があるとき
この世界は計量空間です。
生命は誤作動します。

計り間違われた計量空間です。

計量空間は監獄です。

この壁を突き破るエネルギーを
私たちで、発明できるでしょうか?