見る術

〔自己を理解する法と術〕
3,(言葉を越えて見る術)

始まりは言葉です。
言葉の水を飲んではなりません。
無限に渇きます。
命に死をもたらします。

言葉は水ではありません。
言葉は命ではないのです。
それを飲むと、人は死のプロセスに入るのです。
それは無限の地獄です。

私たちは、地獄から抜け出せるでしょうか?

水と水のイメージは異なります。
命と命のイメージは違うものです。
水と水の知識は異なります。
命と命の知識は違うものです。

私たちは判別を失ったのです。
私たちはイメージを飲み、受け入れます。
私たちは知識を飲んで、受け入れているのです。

必要なものは水です。
水のイメージではありません。

大事なものは命です。
命の知識ではないのです。

言葉を越えて、見ることはどのようなことでしょう。

クリシュナムルティ生の書物
人類の物語が、あなたにあります。
広大な経験、深く根付いた恐れ、心配・切望、悲しみ、楽しみと、人が幾千年もの間中蓄積してきた信念すべて、です。
あなたがその書物です。
この書物を読むには、ただそれを観察するのです。
雲を観察するであろうように、です。
あなたは、雲について何もできません。
ヤシの葉が風に揺れているのも、
日の入りの美しさも、です。
あなたはそれを変更できません。
それは、観察の芸術、見る芸術です。
あなたが、あなた自身である書物を読むとき、
あなたと書物はありません。
読者と、あなたから分離した書物は、ないのです。
書物はあなたです。
(23~24p)

なぜ、私たちの精神は、言葉・イメージ・知識で動かされるのでしょうか?
この問いを共に開くため、学ぶ術を開き、
思考の動きを見ましょう。