【特効薬のつくりかた③】

【特効薬のつくりかた③】

友人が、憑依に悩まされて苦しんでいます。
そこで、私とあなたと友人とで、憑依現象を理解し、この事態を乗り越える力を発明しましょう。
それは特効薬を生み出す可能性であるでしょう。

私たち人間は、終わってしまったもの、すなわち死んだものと生きています。
記憶です。

死んだ記憶が、生に襲いかかり恐れさせます。

それゆえ、生きているものに苦しみがあります。

成仏させてあげられないでしょうか?
今までに死んでいったすべての人間たちを、成仏させてあげてください。

成仏すべきは人間すべての記憶です。
有り難いことに、憑依はこの真実を伝えてくれるのです。

これを理解しない私たちは憑依に苦しみます。
とりつかれた感覚、
襲われる恐怖です。

この深い感覚の理解から、
恐怖は目覚めるのです。
恐怖の目覚めにおいて恐怖は消えます。

今、私たちは恐怖を見ているでしょうか

それとも恐怖の考えをイメージしているでしょうか。

人間世界のイメージの中、恐怖の考えで戦い続けてきた私に、憑依現象が真実を伝え助けに来ています。

友よ、それと戦わないでください。
友よ、恐怖はあなたを助けようとしています。
戦うことがその声の遮断です。

恐怖の声に耳を傾けてください。
それはあなた自身の声です。
それは私自身の声です。

これを聞くことが人間の特効薬です。

友よ、どうか憑依を解消しないでください。
ともに生きましょう。
憑依に苦しむすべての方が救われるように、です。

10月5日

【特効薬のつくりかた②】

【特効薬のつくりかた②】

1,心の重さ
2,心の動き
3,心の広がり
今から、この1~3を理解することで、
生きとし生きるもの、すなわち、生命の病を癒し、苦しみを抜き、生き生きとさせる特効薬を生み出しましょう。

この1~3のものは分けることができないものです。
ですが、理解を分け合うために、
便宜上、分けます。
それはちょうど、
脳と心と体のようなものです。
それは、分けることのできないものの、
便宜上の区別です。

それでは、いっしょに入り、
いっしょに見出し、
共に発明を生み出しましょう。
特効薬の。

あなたの心はいのちの中心です。
生きとし生きるものの中心は、
あなたの心の重さです。
その理解があなたを開きます。
あなたを開く鍵、
それはあなたの心にある重さです。
現在において、その重さは、
あなたを閉じこめるあやまちの中心です。
あなたは人類の誤差です。
あなたは生きとし生きるものたちの、
誤差なのです。
あなたは現在において、
この二重のあやまちを生きています。
すなわち誤作動しているのです。
これがあなたの心の動きです。

それは誤作動しています。
誤作動、それは時間です。
誤作動の動きは時間の動きです。
私たち人間は時間に可能性があると、
思いこんで生きてきたのです。
現在においても、
時間の可能性を生きています。
時間は非可能性です。
時間は私たちの可能性を奪ってきたのです。
現在において、私たちの可能性を奪っているのは時間です。

今、時間を止められるでしょうか?
明日にではなく、この現在において、
共に、、、。

「できない!」って、、、。
時間は心の動きです。
その動きを見るのです。
「見えない!」って、、、。
確かに時間は止まらないし、
心の動きは見えては来ませんね。
なぜでしょう?

単純です。
判断しています。
比較しています。
そうですね。

今まで生きてきた条件と比較します。
その条件から判断しています。
そうですね。

今まで生きてきた条件は時間です。
「それは止まらないものだ」
言われたことと比較しています。
判断です。
止めなければならないのは、
この判断と比較です。
今まで生きてきた条件です。
今まで、です。
それは過去です。
明らかです。
現在をスルーさせ、
未来を予測させています。
時間です。
過去に縛られた時間です。
止めなければ見えないのは、
この時間です。

私たち人間を誤作動させ、
その可能性を奪い続けている時間が、
一人一人を過去に縛り付ける時間が、
すべての人間たちに分け持たれている。
この事実が見えること。

見えることが時間の終わりです。
見ることが空間の始まりです。
心の広がりです。
それは生きている無量の始まりです。
それは心の広がりです。

心が広がり、開かれることで、
生き生きとしてきます。
私たちは、特効薬を生み出すエネルギーを発見しつつあります。

分割不可能なエネルギーは
重さ、時間、空間を解き放ち、
生きている空間へかえるのです。
生きている心の広がりへ、、、。

すべてを分割してきたエネルギーは、
分割不可能なエネルギーです。
このエネルギーが特効薬です。

私たちは共に、
重さ、時間、空間、エネルギーの関係を理解したでしょうか?
それは、心の重さ、心の動き、心の広がりの理解をもたらす力、エネルギーです。
これは特効薬を生み出す可能性です。

私たちはこの理解を使って、
一人一人の現実に抱える問題に入っていきましょう。

9月23日

【特効薬のつくりかた】

【特効薬のつくりかた】

生きとし生きるものの苦しみは、
「私」の苦しみです。
この「私」はあなたの中にあります。
その「私」です。
そして「私」は、
生きとし生きるものの中にあります。
その「私」は苦しみます。
あなたは苦しみます。
生きとし生きるものは苦しみの中です。

ですから、今から、
あなたと私は、このブログをとおして、
苦しみを終わりにする「特効薬」を、
発明しましょう。

苦しみを解放する特効薬です。
苦しみがあると充分な生が開きません。
苦しみは生を閉ざします。
苦しみは危険を知らせてくれます。
私たちは苦しみを理解し、
終わりにしましょう。

ピンを足で踏みました。
躓いてこけました。
怪我をします。
痛くて苦しいです、治療しましょう。

食べ過ぎました。
飲み過ぎました。
摂生しましょう。
直りません。
医者へ行くと腫瘍が見つかりました。
良性か悪性かはわかりません。
不安です、治療しましょう。

身体が苦しむとき、適切に治療しなければなりません。

医者はよく知ってますから、
医者の言うことをよく聞いて、
従わなければならないでしょう。
適切な治療が必要なわけです。

適切な治療を、
私たちは理解しなければなりませんが。
理解できているのでしょうか?

病状を治まらせるだけが適切な治療でしょうか?
根本的な病の原因を解消することではないでしょうか?

病状を治めるだけならば、
誰かに、又は本に、又はコンピューターに
尋ねることができます。

病の根本因を誰かに頼れますか?
あなた以外の誰にも頼れません。
それは、「私」だからです。

あなた以外の人間たちに分け持たれている
その「私」です。

私たちは、
この病の根源を発見することで、
精神と肉体の病すべてに、
適切な治療を行えるのです。

病の根本因の発見が解消します。
病因の発見が特効薬です。

この発明を私たちが生きる世界でもたらすなら、生きとし生きるものを元気にするでしょう。

それではいっしょに、
発見の扉を開けましょう。

9月18日

【自我の真理】

【自我の真理】
「私」って、いったい何?
その真理が、あなたを解放します。

あなたを解放することができるのは、
あなたが発見する、
自分自身の真理です。

自分自身を理解するときに生じる、
その真理作用です。

外部に助けはありません。
本や人に頼ることはできません。
「どうすればいいのか」という方法はないです。

かなり単純ですね。
自分を理解するのに、
自分以外の経験に頼れますか?
自分の知らない知識に頼れますか?
自分以外の考えに頼れるでしょうか?

これは大変有り難いことですね。
この有り難いことが、
有り難くなくなっているようですね。

自分自身の存在が、
存在しがたいと言うことが、
なんだか、綱渡りのようになってきてますよね。

これは「恐怖」のなせる技です。
この「恐怖」は全ての方を襲います。
その「恐怖」の一部分を、
今、いっしょに見ています。

それは「恐怖」そのものですか?
それとも「恐怖の考え」ですか?
「恐怖の考え」が、
私たちの頭脳を断絶腐敗させています。

これが「恐怖」の作用です。
見えますか?

このブログに記された言葉を鏡にして、
あなた自身を映し出すのです。

これは自我の真理作用です。
9月13日

【ありのままに学ぶこと】

【ありのままに学ぶこと】
ありのままには手を付けることができません。
手を付けられない、
知ることができない状態から、
私たちすべての命が生まれます。
それは一人一人のありのままです。
ありのままは計ることができません。
この中心から計ることで生じる誤差が、
自己中心です。
私たちはここから動き、誤作動します。
頭脳は誤作動します。
私たちは計りきることのできない命を、
中心に持っています。
計られた世界、計量世界、
比較され、評価され、判断され、
分けられていく世界のただ中にいて、
計ることなく、
ありのままに学べるでしょうか?
計ることなく、
ありのままを生きられるでしょうか?
計ることの自由において、
ありのままは花開きます。
計ることの危険に気づけているでしょうか?
計られてできたものの動きは、誤作動です。
私たち人間は誤作動しています。
何万年もの間、、、。
それは、条件付けられているのです。
私たち人間の条件は何でしょうか?
それは、条件付けられているという事実です。
これが条件です。
人間は二重基準を持ち、
矛盾を生きています。
この混迷と迷いを解くこと、
この闇を晴らすことで、
人間の条件を根本から変革する、
すなわち、革命をもたらすことが、
このブログをとおしての、
あなたと私の、ありのままの学びです。
戦うこと、対立することを条件として、
条件付けられる危険は、
結果が、殺すこと、すなわち戦争です。
これは人間のありのままです。
この事実、ありのままを計ることなく、
学べますか?
私は「殺しません。」と言います。
そこにあなたがやってきて、
「計っていますね、それこそが二重基準の迷いですね。」
と、私に事実を告げます。
私は、このままでは、闇を生き続けることが見えます。
これが、光なのです。
この光は二重基準の迷いと矛盾の闇を照らすのです。
これはあなたや私のための光ではなく、
生きとし生きるもののための光です。
この光が、ありのままを花開かせます。
私たちは、今、このブログをとおして、
ありのままを学んでいるでしょうか?
8月9日

【万有の真相を開く革命】

【万有の真相を開く革命】
このブログをとおして、あなたと私は、
社会を根本的に変革させる、
その可能性を開こうとしています。
この革命の可能性は、
質量と計量との関係を、
明確に見ることをとおして開きます。
見ることは行為することと同時です。
見ることと行為することとの関係を、
思考が媒介するときに起きる、
生きているものすべてに起きる障害の本性を発見するとき、
私たち人間の中心から、
生命が持たされてきた苦しみの原因を取り除き、解放し、
命自体に備わった、元気と自由とを取り戻すことができるのです。
人間の中心からの解放、
このときの心の状態、
このありのままの心こそが、
革命の可能性です。
この革命の可能性を開けるためには、
思考のプロセスを理解しなければなりません。
思考が、質量としてもたらす障害と、
思考が、計量道具として頭脳にもたらす障害を共に理解する必要があるのです。
この障害は、思考自体にあります。
思考が自ら障害を起こす分割作用です。
この分割により、
見えなくなる障害と、
この分割障害が見えるという解放があるのです。
すなわちそれは、闇と光です。
私たち人間世界では、
思考の物質としてのプロセスと、
思考の計量誤差としての障害は、
闇の中です。
見えません。
この光となるものが、
あなたの自己中心です。
それは計量誤差の真理です。
すなわちそれは、質量は計量であることの真理です。
この真理が質量と計量との関係を明らかにするのです。
あなたは、人類の誤差なのです。
この誤りを誤りであると見ることが、
光です。
この光が、
世界の中心を明らかにするのです。
 
 
 

【意識と自由】

【意識と自由】
現在科学の言い分では、
意識は無意識のほんの小さな一部分で、
しかも自由意志・自由な意識はない。
これは、脳内活動を観察すれば明らかだとされています。
はい。わかりました。
科学はすごいです。
そのとうりですと、言えますか?
科学は言います。
「自由意志・自由な意識はない。」
心は問います。
「どうしてそういえるのか?」
科学君=「意識は脳活動に依存している。意志決定者の行為は脳活動に条件付けられている。自由ではない。僕はこれを証明できる。自由があるという方、議論しましょう。」
心さん=「科学君。自由は、あるとかないとか決定できるものだろうか?いったい誰が決定するのだろうか?
科学君。あなたは、意志決定者の行為は脳活動によって条件付けられているという。ではその脳活動は何ものにも条件付けられていないと言うのだろうか?
科学君。どうか自分自身に問うてください。
脳の機能はなんでしょうか、と。」
科学君=「もちろん、脳活動は、五感をとおして身体に条件付けられますし、生きている周りの環境に条件付けられます。
そこで、脳の機能は何なのか、ですね。
脳機能は、生活環境にあるものを、五感をとおして感受します。この感受が入力されるのです。
この入力において脳内に「ゆらぎ」が生じ、この入力されたものに「ゆらぎ」がプラスされて出力として表現されることが脳の機能です。
そこで、自由の存在についてですが、
意識は明確に脳内活動の産物です。
唯一、自由があるとすれば、この「ゆらぎ」においてですが、この「ゆらぎ」そのものを観察することが可能になったのです。
この「ゆらぎ」においては、再現性はありません。一回性です。
その1回1回の「ゆらぎ」を観察すれば、感受において入力されたものが、同じ条件であっても「ゆらぎ」において様々に出力表現されるのです。
これは一回性ですが脳内活動によって条件付けられている意識です。
脳内活動を見れば結果が見えるのです。
よって、自由意志は存在しません。
心さん=「科学君。どうか自分自身をまずは観察して欲しいのです。
心は自由でなければ、生きている真理と断絶します。
観察装置を通して「ゆらぎ」を見ている科学君。あなたは「ゆらぎ」と別ですか?
この質問を、どうか自分自身に問うてください。
「ゆらぎ」と別に存在する科学君。あなたとはいったいなんでしょうか?
あなたは観察装置をとおして計量空間内にある「ゆらぎ」を観察しています。
すなわち科学君。あなたは計量空間における計量誤差です。
あなたが見ている「ゆらぎ」はそこから分離した動きである時間です。
すなわちそれは、科学自身の動きである誤作動なのです。
科学は無尽蔵なる生きた動きから、自ら誤作動することで、生きているものを搾取・破壊する動きであり、この誤作動により、人類は利便性を享受してきたのです。
従って、科学は自らが、その危険性を自覚せねばなりません。
私たちは、分かち合っているでしょうか?
科学君=「あなたが語っておられることは、私を動揺させます。」
心さん=「生きているもの同士が、計量により作り出す空間は幻影であり事実ありのままではありません。
苦しみ、悲しみ、戦いの空間です。
制限された空間です。
生きている空間から断絶した死の空間です。
この死を死と見て、この幻影を幻影であると見ること自体が、生きている真実の空間を開くのです。
私たちから、生きとし生きるものの中心作用である誤差を見抜くかとが、愛への第一歩です。
あなたと私からです。
真実を開くのは愛です。
7月22日