【自己中心を開く誤差のプロセス】

【自己中心を開く誤差のプロセス】

〔自由の扉を開く誤差のプロセス〕
Ⅰ{1重さ=2時間=3空間}
Ⅱ{1自己中心=2葛藤=3恐怖}
Ⅲ{1記憶=2知識=3経験}

誤差のプロセスを理解することで、
あなたと私はともに、
頭脳と世界との関係を見出し、
一つの神経細胞が電気信号によって織りなす生命の物語を見て、聞いて、学ぶことにより、
あなたと私はともに、
自己中心から、
人間の中心へ、
生命の中心へと辿ることで、
そこに実体がないことを悟るなら、
中心からの解放があるでしょう。

今、私たちはお互いの誤作動を止め、
重さから経験までをたどることで、
脳と宇宙との相関する関係、
すなわち法と術を理解しよう。

誤差プロセスにより、
世間の方法と技術が生まれます。
この生みの親が法と術です。
誤差の理解は完全計量です。
完全計量が方法と技術の生みの親です。

誤差を条件とする中心=重さは、
知的分割計量の動きである時間に、
条件付けられる。
知的理解者として条件付けられる。
知的理解者は、
自らが知識の組み合わせにすぎないということに無自覚です。
誤差の中心を抱えた知的理解者は、
自己正当化の戦いを継続するよう条件付けられています。
知的過ちを恐れ、
知的過ちを非難し、
自己の過ちを隠すために、
知識の組み合わせを変えていく。
このプロセスにより、
戦いにおいて殺すという過ちが、
正当化されます。
これは時間により条件付けられた人間たちのありのままです。
この人類の誤差が自己中心であり、
誤作動しています。

私は、人類の誤差です。

この理解は、自己理解です。
この理解は、革命の可能性です。
と私はあなたに告げます。

受け入れないでください。
はねつけることもしないでください。
判断せずに、評価せずに聞いてください。
解釈して記憶内容と照らし合わせないでください。

そして、結論と答えに行き着こうとしないでください。

あなたに告げたことを、
あなた自身である研究室で、
あなた自身を実験してみてください。

自分自身を理解するときに革命の扉は開くと言います。

それでは、プロセスを理解し、
法と術を開きましょう。

時間と空間、葛藤と恐怖は前回までにやりました。
それは、時間である葛藤がシグナルとして計量空間の監獄構造を、恐怖をもって伝えてくれることでした。
それは、時間の誤作動を止めること、
思考が止まることでした。
それは、道具箱は道具であること、
思考者は思考であること〔すなわち〕
私は道具であること、
私は思考であることの理解により、
生じると言いました。

今は、自己中心を理解するため、
言葉とイメージの道具箱を開いて、
道具の中心から、
見て、聞いて、学び、
見る術、聞く術、学ぶ術を開きます。
すべての方法と技術は溶けこみます。

自己中心を開く法は、
自らが光であることを術とします。
自己中心の法と術です。

中心が光るとき闇は晴れるからです。
意識が光るときに、
無意識が消えゆくとともに、
中心をならしめていたものの関係が暴かれます。
意識する主体に自由があるのかどうか?
意識できる行為は無意識に条件付けられていないかどうか?

自由意志の行為が、
自由でないことを暴くなら、
その光と共に、
自由を開く可能性が開くかも知れません。

この準備作業として、言葉とイメージでできた道具箱を開ける必要があります。

道具箱は道具です。

私たちは、言葉でイメージを造り、
相手を指図、指示、指令し、
相手に順応し、従います。

私は、何に従っているのでしょう?
私は、なぜ従うのでしょう?

二重基準と戦いの始まりです。
心の内ではイメージとの葛藤、
身体の外ではイメージとの戦いです。
相手のイメージを壊して、
道具を取り出し利用しようとします。
相手のイメージに恐れると、
自分の道具を差し出し、
利用されようとします。

お金の有る無し、
地位の有る無し、
権力・権威の有る無し、
生産手段の有る無し、
イメージが分割し、計られています。
二重基準の中、戦いです。

道具箱は言葉でできたイメージです。
私のイメージとあなたのイメージです。
私の葛藤とあなたの葛藤、
私の時間とあなたの時間、
私の恐怖とあなたの恐怖、
私の空間とあなたの空間、
自己中心の重さを抱えて、
お互いは関係し合えるでしょうか?

イメージとイメージとの関係が、
関係であるのかを問えと言われます。

自己中心は、
互いに出会えるでしょうか?

私は、あなたをイメージなしに、
見ることができていません。
あなたのイメージに隠された中心に、
出会うことができません。

こうしてイメージとイメージとの関係、
道具箱との関係を、
どう開けるでしょうか?
道具箱は言葉でできたイメージです。
道具箱は道具です。
私は道具です。
私は言葉です。

世界は言葉で、言葉が世界です。
言葉なしには、消えてしまいます。

言葉でできたイメージが消えるなら、
関係が、道具箱が開きませんか?

言葉は計量です。
計ることです。

計ることのできない自己中心は、
今、この現在において、
計ることでは出会えない。

生まれては死に、死んでは生まれる、
自己中心のありのままに出会えない、
今を生きる70億もの自己中心たちは、
過去何万年もの間、
生死を繰り返してきた自己中心たちは、
計ることのできない自己中心です。

計ることでは出会えないし、
関係することはできません。

言葉は計量であり、
イメージは分割です。
言葉とイメージは分割・計量であり、
計ることです。

イメージなしに、言葉なしに、
中心から関係できないでしょうか?

中心が消えるとき、
それは中心からの関係です。
自分以外の人に、中心を消すように指図できません。

自分からです。

日常生活において、
生きている苦しみ、
生きている問題を、
中心から開くことで消えていきます。

このとき、
発見があるなら、
それは法と術です。

このブログをとおして、
お互いが、
自己中心を実験してみましょう。

3月27日

【不死の門を開く準備実験】

【不死の門を開く準備実験】

このブログ上でおこなわれる、
あなたと私の実験・研究は、
一つの脳細胞が、他の細胞との関係を、
物理的にも、精神的にも変革するとき、
人間の頭脳全体に引き起こす波紋が、
人間社会に変革を引き起こす、
革命の可能性を開く実験・研究です。

前回、私たちは、空性において、
ありのままが映し出されるのは、
自らが光であることにおいてだ、
と言いました。
これは、時間と空間との分割・計量を理解したときにおきる空の性質であり、
生きている空間との融合です。

人間が生きる空間は知的空間であり、
断絶であり、闇です。
光に依存します。
自らが光であることを見失います。
闇において時間の非可能性に迷います。

知的空間の中では時間は可能性です。
物理的には光がなければ見えません。
現在において見えるのです。
未来は見えません。

現在を開くのです。
現在において、
過去から未来への動き=時間が、
非可能性であることが見えるなら、
可能性としての今が開くのです。

時間は自ら本性を開き、
空間に消えていきます。

言葉を換えますと、
葛藤が、
恐怖の闇の手助けで、
自ら光ながら仕組みを教えます。

物質原理と生命原理が出会い、
命の中心作用である、
苦しみと戦いの本性が現れ始めると、
中心の原理は解消し始めます。

原理と原因を求めてきた中心が止み、
知的理解の誤差が暴かれます。

生と死の分割が止み、
不死なる門が現れます。

この門を開く鍵は、
自己中心の理解です。

計りきれない自己中心の重さを、
どのように計ればよいのか?
計らないのです。

今、
自己中心からの誤作動が止んだのです。
あやまちの差異性である、
誤差の法則に入りましょう。

誤差法則の理解が道具箱を開く鍵です。

私は道具です。
道具の作用を理解します。

自己中心から自己を理解するなら、
自己のプロセス、
道具のプロセスが見えるでしょう。

自己が道具として、
命全体に使われているなら、
自己の死は、生に使われ、受け継がれ、
死は生に溶けこみます。

不死の門が開いているかも知れません。

【空性における法と術】

恐怖の理解は、空間の理解です。
人は、計られた空間を生きます。
計量空間です。

人の条件付けを深めます。
人の条件付けを深めることを、
世間では進歩と呼ぶようです。
人が機械的に正確な人間になることが、
正しい人間のあり方だと思われています。

恐怖は人間中心を空間に条件付けます。
条件付けは、頭脳の誤作動です。

この条件は、分割・計量です。
分割・計量は思考です。
人間の条件は思考です。
人は思考によって条件付けられ、
計られた空間を生きるのです。

この明確な知覚をもたらしてくれるのが、
生きた空間、生きた恐怖です。
空間の理解は空の性質、空性です。

ありのままを映します。

よって、
分割・計量の法と術をもって、
人間の条件である思考システムの理解が、
人間社会に革命をもたらす可能性です。

分割あるところ計量があり迷いがある。
計量あるところ分割があり闇がある。
分割あるところ誤差を生じ誤作動する。
これが法であります。

闇と迷いを晴らすには、
人は自らが光であることを要します。
これが術であります。

これは法と術です。

【道具箱のつづき・恐怖の中心作用】

【道具箱のつづき・恐怖の中心作用】

思考の条件・分割作用を条件として、
条件付けられてきた頭脳が、
今現在において無条件の自由を自覚し、
革命的な進化の可能性を開けるか?

これを、あなたと共に、
このブログにて挑戦し、実験します。

平たく言えば、
あなたの頭脳と私の頭脳は別なのか?
すべての人間の頭脳と別なのか?
すべての生命の頭脳とは別なのか?

別ならば、どこがどのように違うのか?

この頭脳は、私のものだろうか?
この身体は、私のものだろうか?
この自我は、私のものだろうか?
いったい、私というものは、
どのようなあり方をしているのだろう?

この私の仕組みが解れば、
脳の仕組みが解り、
脳で造られた社会の仕組みが解り、
私の機能、脳の機能、社会の機能、
この機能をもたらす中心からの革命の可能性を開くことができるかも知れない。

この革命への第一歩が、
恐怖の作用を理解することにあると、
思われるのです。

恐怖は、生命の中心作用だからです。

ですから、恐怖と脳細胞との関係を
いっしょに開きましょう。

恐怖は、血となり、肉となり、骨となり自分自身に流れ込んでいるという真実を、私たちは肌で感じ取ることができるでしょうか?
恐怖でふるえる犬や猫、鳥たちのふるえを、手で直に感じたことがあるでしょうか?
私たちは、恐怖を直に、強く感じることを避けていないでしょうか?

恐怖から逃げようとします。
逃げられないなら恐怖の中で戦います。
逃げることも戦うこともできないと、
固まります。

これらは無意識の応答であり思考です。
無意識の分割作用です。
意識的行動を誤作動させます。

道具箱から道具を取り出したのです。
道具箱の道具は、法と術であり、
生きているものです。

これから切り取り、取り出して、
方法と技術に分割します。
死なせたのです。

どうなりますか?
頭脳は、生きた動きと断絶し、
機械的に反復し、順応し、限定します。
可能性を時間の非可能性に縛られます。

これが戦いと殺し合いの生命原理です。

これが、時間に支配されて生きてきた、
私たち人間の状態です。
私とあなたの今ある状態です。

私たち人間が、今まで生きてきた時間は、すべての人間が生み出した方法と技術です。
一人一人の人間が、自分自身の方法と技術によって、戦い続けて来たのです。

道具箱から道具を取り出すなら、
空間と時間は、分割するのです。
恐怖と葛藤が継続するのです。
監獄での戦いが継続するのです。

これが人類の状態であるなら、
あなたと私は、どうします?

道具箱は道具です。
これは道具を終う法と術です。

すべての方法と技術を、
みんなのため、
あるべき場所に終うのです。

誰もができずにいたことです。
終うために方法と技術を捜すからです。

私とあなたから終うのです。
終わらせるのです。
道具の生き方、機械の生き方を。

道具箱は道具です。
それは、
私が道具にすぎないと言うことを、
私自身から、正直に認めることです。

人類が使ってきた道具、
すべての方法と技術を生み出した道具、
それは思考です。

この私とは思考です。
思考と別にある何か神秘的な実体ではないのです。

思考者は思考です。
私は思考です。

道具箱は道具です。
私は道具です。

このとき、恐怖は私たちを守ってくれる、
大いなる力に変革するかも知れません。

恐怖の理解が、革命への第一歩です。

分割・計量の法と術 道具箱は道具であること

分割・計量の法と術
道具箱は道具であること

これは法と術=すべての方法と技術が詰まった、人類と生きとし生きるものの宝箱です。
これは、法であり、術です。

この道具箱〔法と術〕の中身である、
道具〔方法と技術〕のすべては、
頭脳が何百万年という時を経て、
経験を情報として蓄積してきた遺伝と、
経験を知識として蓄積してきた記憶です。

道具箱から、道具を取り出すと、
どうなるでしょう。
これが生きとし生きるものの頭脳の状態です。
一つ一つの生体が、道具を使って、
それぞれに生活空間を造ります。
これは、分割し、計られた空間です。

これは計量空間です。
生きている法と術から分割した、
特定の方法と技術を使って計られた空間です。

この計量空間と別にあると思わせる条件が計量誤差です。
分割により生じます。
これが自我の中心作用です。
現在、生きとし生きるものの頭脳は、
この中心作用の誤差である自己自身が、
誤作動している状態です。

頭脳は、この誤作動ゆえに、2パーセントしか機能していません。

これが、命を苦しめ、戦わせ、殺し合わせる現実をもたらしているという、暗愚の状態です。

そこで、今から、このブログをとおして、
あなたと私とで、誤作動を止めて、誤差の状態をいっしょに見てみましょう。

何か、質問や疑問がありましたら、いっしょに、考えてみましょう。

4,誤差の発見

4,誤差の発見=(まちがいを暴くエネルギー)

意志決定者である私の中心、
意志する私の中心が暴かれると、
思考自体の分割・計量が暴露される。

自由意志、それは錯覚ではないのか。

誤りの重さ、
過ちの時間、
間違いの空間が、
〔これを誤差の3法則と名付けます〕
空の性質により暴かれる。
〔これは空性の理解=法です〕

自由、それを誰かに教われるのか?

それは、時間の中にあるだろうか?

時間は、重さと空間とを分割計量させ、
分割の闇と計量の迷いを継続します。

時の誤作動である時間が止むとき、
生きた動きです。
生きた動きが自我を解体し、
中心の重さは、
空間の闇の中、
美しく輝きながら、
教えを受けます。

闇である自己自身が晴れゆくときに、
分割不可能な力を得ないでしょうか?

この力は日常生活の中で、
欲望を理解する、
気づきの作用であると思われるのです。

欲望は、不完全な計量=思考の分割により消耗されることで、私たちから力を奪い続けます。
自己中心からの欲望による力の消耗を理解すれば、消耗を止めることができます。
誤作動=時間を止めることで、中心にある計りきれない重さの本性を空間に暴き出したように、消耗を止めることで、欲望自身が本来の力を中心から爆発させる革命の可能性に挑戦しましょう。

そのためには、
物質原理と生命原理との
相互作用を理解し、
物質と生命との関係が、
機械的な破壊する条件を発見する、
誤差の三法則を見出すのです。

3,恐怖の闇=空間

3,恐怖の闇=空間
〔間違われた空間=計られた空間と空〕
空間なしに私は存在できません。
何ものも空間なしに存在しません。
物質は空間なしには存在しませんし、
精神は空間なしには
考えることができません。
思考は空間なしには機能できません。
空間を失った思考は破壊されます。
空間を失うことは恐怖です。
自己存在が消えてしまう恐怖です。
自己は空間なしに存在しません。
空間は恐怖です。

例えば恐怖の因、「所有・取得」です。
私のものだという思いは恐怖です。
失う恐怖です。
何を失うのか?
空間です。
「これは私のだ。私の領域だ。触れるな。入るな。」
空間を奪っているのです。
空間を失うのです。
家族を失う。仕事を失う。友人を失う。支援を失う。
命を失う。
私のものだという思い・考えを失う。
空間を失う恐怖です。

この恐怖が見えるでしょうか?
空間と私とを、分割できるでしょうか?

思考が空間を失う根本因は、
思考自身の分割・計量です。

分割あるところ誤差が生じ誤作動する、
これは法と術です。

生命は計量空間を生かされています。
分割・計量を条件として
条件付けられる命です。
生命の苦しみの根本です。

命が、自分自身のものだと思っている、
この肉体、この頭脳、
はたして本当に、私のものでしょうか?
肉体と頭脳とを占有している空間、
私自身が存在するための空間、
空間は私のものだと主張するとき、
世界はどうなっているでしょう?

分割できない空間が分割され、
自己と非自己が生まれます。

人間社会が他の生命と分割され、
人間自身が分割されています。

二重に絡み合った無間地獄です。
人間空間は計量空間です。
生きている無量の空間と断絶します。

苦しみ、戦い、競争、戦争原理です。

私が空間であること、
分けることのできない空間を知るには、
完全な計量が必要です。
この完全計量が自由・解放です。

完全計量の法と術
それは世界の音を自己中心に聞くことの
法と術です。

このとき生命全体の思考、
慈悲に基ずく思考、
誤作動を思考自らが気づき、
自覚し、理解し、
誤作動の音が聞こえる中で、
静けさが生じるかも知れません。

世界の音を中心から聞くなら、
静けさを聞きませんし、
聞くことの法と術ではありません。

空間を占有している主体の中心
行為者、思考者、私があるとき
この世界は計量空間です。
生命は誤作動します。

計り間違われた計量空間です。

計量空間は監獄です。

この壁を突き破るエネルギーを
私たちで、発明できるでしょうか?