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無名校の集会 言葉の重さ

無名校の集会
完全な計量があなたを変え、
世界を変える。
計量の本性を学ぶ学校。
無名校学校建設の集会を
毎月第三土曜19時から
ひとまち交流館で行っております。

あなたは計りきれない無量なる命の一部です。
あなたが人を計り、世界を計るとき、
あなたもまた計られています。

計りまいちがいです。

そのまちがいの中心が私の中心です。
今から、私とあなたとで、この中心にある
(あやまち)(まちがい)の本性を暴くことで、
-(これを暴くことが計量本性を暴くことです)-
罪の中心、暴力の中心を暴き出す力を発見し、
力により、私とあなたが変わることで、
私たちが生きている環境・世界が変わるかどうか、
挑戦するのです。

挑戦を始めるに当たって、
私たちは、自己を知らねばなりません。
脳が長年(何千年何万年以上)使ってきた
思考の仕組みを知らねばなりません。
思考は自己であるからです。

(言葉~イメージ~経験~知識~記憶)
(この記憶から思考します。)
(そして、思考に支配された経験です。)
(言葉とイメージなしに見れば、反復される思考です。)
(記憶を基点にして反復している思考の動き時間です。)
(思考・時間を明確に映し出す闇が空間の恐怖です。)
(恐怖の闇において思考の仕組みが映し出されます。)

思考は自己自身であり、私とあなたとは、
思考の仕組みを理解しなければなりません。
それは思考が自らを惑わす物質のプロセスです。

1,言葉の重さ(まちがい=誤差の重さ)
2,思考の動き=時間(まちがい=過ちの動き)
3,恐怖の闇=空間(まちがい=間違いの空間)
4,自己の理解=(まちがいを暴くエネルギー)
この4つが思考の物質プロセス=
重さ・時間・空間・エネルギーです。

1,言葉の重さ
自己中心に刻まれ、刻印された言葉。
言葉なしに、すべての言葉を消し去り自己中心と共に、
ただ一人あるとき、
刻印された中心の言葉は、
日中の光のなかにもかかわらず、
自己という闇の中で光り輝く。
そして、自己中心の刻印が美しく消え去るとき、
生命の中心を学んでいるのです。

生命は単一のプロセスです。
それを分割させるのが、生命の苦しむ原理であるという、
分割の本性を生命の中心から学んでいるのです。

言葉は計量です。
計量は迷いを造り幻影を造ります。
言葉が消え、計量の迷いが晴れますと、
分割の本性が見えるのです。

それは、思考の、時間の、苦しみの本性です。
命を分け、戦わせる仕組みを見るのです。
思考の動きが静まるときの時間の仕組みを見ましょう。

言葉は正しくあることができない
悲しみです。
自分を正当化するという悲しみなのです。
言葉は悲しみの重さです。

学ぶ術

〔自己を理解する法と術〕
〔学ぶ術〕
経験に依存せず経験できるだろうか?
知識をもとにせず知ることは可能か?
新しい発見は知られていないから発見と呼べます。
発見は知の領域には存在しません。

知と経験に頼らない能力の重要性が見えるでしょうか?

私たちは、知と経験に頼っており、その条件を基に、
条件付けられている危険を理解しているでしょうか?

人類のための知と経験を、分断し、相対立し、
殺し合おうとしている危険が見えるでしょうか?

人類が誤作動しているのです。
この根本因は自分自身です。
自己は人類の誤差です。

その危険は、蓄積していく経験と知です。
これを見ることが学びです。
これを見ることが蓄積していく知からの自由です。
この経験が自己を、お互いを、開くのです。

クリシュナムルティ生の書物
学ぶ芸術があります。
コンピューターは学びうるのです。
それらはプログラムされうるし、
言われてきたことを反復するでしょう。
私たちは、始めに経験します。
知識を蓄積し、それを頭脳に蓄えます。
そのとき記憶としての思考が生じます。
そのとき行為があるのです。
その行為からあなたは学びます。
かくして、学ぶことは、さらなる知識の蓄積です。
これが、気づいて目覚めている精神がすべてのとき、
していることなのです。
コンピューターのように、です。
経験、知識、記憶、思考、行為、
それが、私たちがすべてのとき、していることです。
それが学びと呼ばれます。
経験から学ぶのです。
これが今までずっと人の物語であったのです。
常なる挑戦と、その挑戦への応答です。
そして書物は人類の知識全体です。
人類、それはあなたです。

《1月31日》

思考の仕組み

〔自己を理解する法と術〕
〔思考の仕組み〕
思考基盤である記憶は生命遺伝情報の誤差である

自己中心を隠す闇が誤差を塞いでいる。
この誤差は、過ちの中心として君臨する。
この誤差としての中心は闇であり、
断片化した恐怖であり、
破壊の因であり、
生きている全体の部分である。
この事実が暴かれずに動くことが破壊をもたらす暴力であり、この世の事実である。
自己中心を塞ぐ闇が、これらを見えなくしている。
この闇が、恐怖である。

この見えない拠点、基点(測定のための基準点・考えの中心となる点)が誤差であり闇であるという二重性を持って生命を迷わせるのである。
生命はこの基点から、誤作動する。
これは生命原理である。
生命は恐怖を抱えるという原理である。

この基点=誤差は知識と記憶の二重性を持つ。
人間の知識は、他の生命の記憶と対立している。
この知識と記憶の分割が、計量の闇と迷いを造る。

人間を含めたすべての生命の遺伝子、
生命の記憶がある。
そこに、言葉とイメージで囲いを造り、その中心から知識で理論武装した生命が知的に発展を遂げたものがわれわれ人間である。(よって、知的理解というものはないのであり、理解というものは知的活動であると考えるわれわれは、破壊を強めるばかりである。知的活動とは、暴力の別名である。)
こうして知識を囲い蓄積していく人間の記憶が生まれたのである。
この人間記憶は、生きている自然と対立し、破壊し、人間記憶自体もまた、分割することで、二重の破壊と苦しみを、われわれは生きているのである。
この真実を見えなくしている闇を持続・継続しているのが時間である。
時間は(知識・記憶)=(過去)からの動きである。
時間は、思考である。
この思考の動きである時間は、機械性質を持つ動きであり、生きた動きである可能性を奪う。

人間時間は、生命時間を奪っているのである。

時間によって私たち人間は時間を無くしているのです。

時間=思考の根拠は暴力です。
計れない命を計る中心、
この中心から計られた動きが命を破壊する暴力です。

これらをどのようにして乗り越えるのか?
それは、時間の危険を知らせるシグナル、
すなわち葛藤の理解によるのです。
葛藤は、自分自身である暴力の構造を自らが暴いてくれます。
そのための絶えざる気づき、
自己を学び、自己に聞き、自己を見る術です。

クリシュナムルティ生の書物

みなさん、私たちの精神は今、退廃しつつあります。
機械的になりつつあり、流れの中で迷っています。
それで、若者もまた迷いつつあるのです。
あなたは、仕事を持つかも知れません。
家を持つかも知れません。
すべての種類のものごとを持つかも知れません。
しかし、内的にあなたは迷っています。
あなたは不安定で不明瞭です。
あなたは何を信ずべきかを知りません。
その理由のために、
思考の充分な意義を理解しなければなりません。
私たちは思考をもとに生きてきました。
私たちのすることすべては、思考に基づいています。
そして、思考は不完全であるので、
私たちの生は不完全です。
私たちは完全性の感覚を与えてくれる何かで、
生を充たそうとします。
それで、私たちの生は常なる闘争です。
そして、私たちは言っています。
「この葛藤、この戦いを終わらせなさい」と。
私たち自身にと、外的に、です。
あなたがあなた自身を理解するときにだけ、
それは終わりうるのです。
(17~18p)

《1月21日》

見る術

〔自己を理解する法と術〕
3,(言葉を越えて見る術)

始まりは言葉です。
言葉の水を飲んではなりません。
無限に渇きます。
命に死をもたらします。

言葉は水ではありません。
言葉は命ではないのです。
それを飲むと、人は死のプロセスに入るのです。
それは無限の地獄です。

私たちは、地獄から抜け出せるでしょうか?

水と水のイメージは異なります。
命と命のイメージは違うものです。
水と水の知識は異なります。
命と命の知識は違うものです。

私たちは判別を失ったのです。
私たちはイメージを飲み、受け入れます。
私たちは知識を飲んで、受け入れているのです。

必要なものは水です。
水のイメージではありません。

大事なものは命です。
命の知識ではないのです。

言葉を越えて、見ることはどのようなことでしょう。

クリシュナムルティ生の書物
人類の物語が、あなたにあります。
広大な経験、深く根付いた恐れ、心配・切望、悲しみ、楽しみと、人が幾千年もの間中蓄積してきた信念すべて、です。
あなたがその書物です。
この書物を読むには、ただそれを観察するのです。
雲を観察するであろうように、です。
あなたは、雲について何もできません。
ヤシの葉が風に揺れているのも、
日の入りの美しさも、です。
あなたはそれを変更できません。
それは、観察の芸術、見る芸術です。
あなたが、あなた自身である書物を読むとき、
あなたと書物はありません。
読者と、あなたから分離した書物は、ないのです。
書物はあなたです。
(23~24p)

なぜ、私たちの精神は、言葉・イメージ・知識で動かされるのでしょうか?
この問いを共に開くため、学ぶ術を開き、
思考の動きを見ましょう。

聞く術

〔自己を理解する法と術〕
2,(人間破壊・無秩序を聞く術)
方法と技術には、時間が媒介します。
方法と技術取得には時間を要します。
ですが、方法と技術が時間として人々を分断します。
時間は、不完全計量であり、この世の秩序を奪います。
時間は、無秩序です。
私たちは後ほど、時間の中に入るでしょう。

さて、私はあなたと共に、
言われていることを聞かなければなりません。
そこで今から、法と術が言おうとしていること、
世界が、人類が、言おうとしていることを、
完全に聞けるでしょうか。
私は、一人で静かにいるとき、
自分自身に完全に聞くことは、
人類が言おうとしていることを聞くことです。
私は、あなたとの対話で、
あなた自身に完全に聞くことはまた、
自分自身を聞いていることです。

ですが、私たちは、このように完全に聞くでしょうか?
不完全に、聞いていないでしょうか?

クリシュナムルティ生の書物
聞くことは、大いなる芸術・技術です。
他の一人に完全に聞くこと、です。
他の一人の声を聞くとき、あなた自身を聞いています。
あなた自身の問題、
あなた自身の不安定、
あなたの悲惨、混乱、
あなたの安全への願望を、
聞いているのです。
私たちは共にじっくりと話し合っています。
人間たちが何であるのかを、
すなわち、あなたが何かです。
あなたは心理的に世界です。
そして、世界はあなたです。
(7~8p)

私たちは、
「完全な計量が世界を変える」と言いました。
そして私たちは、
「事実は不完全計量である」ことが見え始めたのです。
今、世界に秩序はありません。
世界は、あなたと私との関係です。
私は、あなたの妻であり、夫であり、息子であり娘であり、孫であり、親であり、友人です。

今、この関係は不完全な計量によって聞かれており、
無秩序です。
秩序という言葉とイメージはあります。
言葉でできたイメージは秩序ではありません。
無秩序という事実があるのです。

不完全な計量によって聞いており、
言葉・イメージ・知識を持ったもの同士が、
意志と感情とが対立するという事実、です。

言葉・イメージ・知識を聞いているので、
聞こえていません。

なぜ、そうなのでしょう。

言葉は、計量です。
そして言葉は、イメージを造り、
イメージはまた言葉で物語ります。
そして言葉は、知識を組み立て、
その知識が語るのです。

言葉は生きていません。
言葉で計られた世界は幻影です。

人は、幻影と現実の二重性を、
矛盾を、無秩序を生きています。

泳法・泳術

〔自己を理解する法と術〕
1,(自在なる慈悲の泳法・泳術)
西へ垂直に泳ぐことで難を脱し、あなたと共に岸に着いた私は、自己中心の泳法と泳術が、いかに危険であるかを目の当たりに、深く感じます。
私たちは法と術を知らないのです。

今、私は、あなたと共に、知らないという深い、深い感受を、いっしょに感じているでしょうか?
それとも、単なる言葉とイメージなのでしょうか?

私とあなたは、法と術を知らないから、方法と技術にすがりつき執着しています。
これが、自己中心の泳法・泳術です。
この社会機構の方法と技術です。

そこで水を飲むことは渇望です。
死のプロセスですと、言われたのです。
方法と技術によって自らが条件付けられた精神です。

「これを私たちは自分自身に尋ねることができます。」

おぼれそうなとき、動揺したとき、「どうすればいいだろう」と言う精神です。
この精神こそ、人心を機械化する重さではないですか?
おぼれゆく、命のもがきです。

この生命の悲しみを目の当たりにし、法と術を捨て去ります。
この悲しみにより心は空にされます。
この大いなる流れに飛び込むのです。
そのとき、始めの垂直なる泳法は自在に変化します。

慈悲の泳法であり、法と術を捨て去ることで、生きとし生きるものに、自己中心泳法のありのままを鏡の作用として、映し出すことでしょう。

そのとき、私とあなたは姿を消すのです。
おぼれゆく命が、自分自身を、自ら発見するために。
これは命の泳法です。

出入の法と術

3,出入の法と術

計量あるところ、分割があり、闇があります。
分割あるところ、まったくの命は計量により迷い続ける。
これは無始以来、全生命におきている事実である。
あなたは、闇と、迷いと、苦しみの世界に入り、そして、悲しみを抱える命と共にして、出なければなりません。
入って、出なければなりません。
不完全で危険な計量世界、暗愚の中殺し合う熱にうなされた世界に入り、生きて出なければなりません。

どのようにして、この力を得るのでしょうか?
この力は、私の力でしょうか?
それともあなたの力でしょうか?

命は恐怖の重さを抱え、北へ北へと流されます。
浮き沈みに抵抗し、もがく命は疲れ果て渇きます。
渇望する命は、金と神と安心の水を飲もうとします。
そこへあなたがやってきて私に伝えます。
「そこから飲んではいけない。」
「それは死の水だ。」
「よく見ろ。北は幻影だ。」

真相を見た私たちは、垂直に、西へと進みます。
岸部に立つ二人は、生きた命の流れを見ています。
尽きせぬ源泉の流れを見る二人は、渇望から自由です。         

もはや二人は、力を求めません。
そこにあることが見えるのです。

生命の源、それは恐怖です。
恐怖の理解が、生命に力をもたらします。
そのための法と術を共に見出しませんか。

恐怖は自分自身です。
法と術は、自分を理解することで生まれるでしょう。


〔自己を理解する法と術〕